なぜ私が海外の教育を選んだのか。日本との違い。

「大人が英語を学ぶ」という観点で書いているこのブログですが、そもそも私自身が40代になってガチの英語を学ぶことになったきっかけは、「オーストラリアに移住することになったから」です。

こちらに来たきっかけは、ブログの最初の記事でも少し書きましたが、「子ども達の子育て環境や将来を考えて」、というのが大きかったです。

そして今、西オーストラリア・パースに住んで4年強になりますが、生活の中では苦しいこともたくさんあるものの、子ども達の教育環境に関しては「本当に来てよかった!」と思っています。

可能な限り、今後も子ども達をここで育てていきたいです。

今回は「英語」と直接関係がないのですが、「私が海外の教育を選んでよかったと思う理由」を書こうと思います。

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オーストラリアの学校、日本との最大の違い

私はオーストラリアの子育て環境、とりわけ『学校教育』について非常に満足しています。

でも、それは「学力のレベル」ではありません。

学力でいえば、日本の学校の方がハイレベルなことをやっています。たとえば算数などは、日本の小学校高学年くらいでやる分数の計算を、こちらではハイスクールでやるようなイメージです。日本からこちらへ来た子どもは皆、とりあえず最初は、算数がめちゃくちゃ優秀です。日本の方が進んでいるからです。

日本の学校とこちらの学校では、学習の進め方に違いがあると思います。

日本では基本的に、学校で一度教えたことは、子ども達はできるようになっているもの、とみなして次の学年へ進んでいきますよね。学年間で重複する内容もありますが。

読み書きや漢字なども、覚えるまで繰り返し練習させられます。

そこでできないと、いわゆる「おちこぼれ」と言われてしまいます。

だからみんな、「追いつく」ために、すごく一生懸命やっていると思います。「自分は勉強ができない」と感じている子でも、実は(こっちと比べたら)それなりのレベルはちゃんとできている子がほとんどじゃないか、と思います。

オーストラリアの学校では、もちろん決められた学年ごとの学力の要求水準と言うものがありますが、日本ほどキッチリとしていないように思います。

私は最近になって理解したのですが、どうやらこちらの学校では、同じテーマを毎年のように繰り返しやっていきます

でも、学年が上がるごとに、その内容が掘り下げられていく。復習も兼ねるので、前の年理解できなかったことでも、次の年には理解できるチャンスがあります

ちょっと悪く言えば、「まあ、何度もやるうちにできるようになるでしょう~」という感じがあります(笑)。

子どもによっては、いつまで経ってもできるようにならないかもしれませんが……。

もう一つ、オーストラリアの学校の特徴として、「できない」ことよりも「できること」を重視しています。

つまり、誰でも得意不得意がある、と考えた時、子どもの「得意なこと」「良い点」にフォーカスします。

「この子はこれがとても上手で、優れている。これはちょっと苦手だけど。」

という感じです。そして、優れた部分をより発揮するように、励ましていくことが、教育の中でとても大切にされています。

日本では、「人より苦手・うまくできない」点を、とても叱られたり、マイナス評価をされてしまいます。

また、これは文化的なものもあるかもしれませんが、子どもが良いコトをした時、先生や周りの大人が褒めたり、みんなで褒める習慣が、少ないように感じます。大人が子どもをほめ過ぎるのは、「甘やかす」とか、「良い子が育たない」とか、そんなふうに言われたりもします。

そんなわけで日本の子ども達は、「叱られない=人より劣らない」ことに集中し、『自分は何が好き?自分のイイところはどんなとこ?自分はどんなことで活躍できる?』……といったことに注目する機会が少ないと思います。

私自身は、これから、「自分はどんなことが得意な人間か?」を知り、それを社会に役立てる方法を知ることが、大切なんじゃないかと思います。そう考えた時、私は「オーストラリアで子育てをしたいな」と思いました。

あと、やはり「苦手なことを頑張って人並みになる」よりも、「人より得意なことで力を発揮する」ことに集中する方が、人生楽しくないですか?

苦手なこともそれなりに頑張らなければならない時もあるけど、その点は『それなり』でいいのでは?

それよりも、得意なことをより伸ばしていく……その分野でやりたいことを追求していく方が、ずっと充実した人生になりそう。

私は子ども達に、そんな風に生きてほしいなーと思います。

そういう意味で、私は「オーストラリアの教育」を選びたい、と思いました。

日本の学校ではあまり扱わないテーマ

親として、子どもの学習内容を通して学ぶこともたくさんあります。

娘は今、西オーストラリア州のローカルハイスクールに通っています。勉強の内容もどんどん高度になってきており、専門用語も英語なので、私が教えてあげることはできません(汗)。代わりに(といってはなんですが)、娘が学習したことを教えてもらって、私も一緒に勉強しています(笑)。

こちらの中学生の学習内容で、日本と違うなぁと思ったのが、歴史。もちろん、こちらでは日本史をやらないので、大きく違うのは当然ですが、こちらでは、ヨーロッパの古代史なども特にはやらないようです。

何をやるかというと、イギリスの産業革命。あと、オーストラリアなので、イギリスからオーストラリアへ植民が行なわれたあたりの歴史。

そして、第一次~第二次世界大戦のことを特にじっくりとやってました。

Year8~9(中学2~3年生)にかけては、ナチス・ドイツのことを重点的にやっていました。

ヒトラー率いるナチス・ドイツが誕生した社会的背景と、そこで行われたことを深く学んだようです。

ポイントは、ヒトラーが出てきた当時のドイツ国民の生活はどんな状況だったか、どんな人々が迫害の対象となったか、などを理解することでした。

当時、娘から「今、『ホロコースト(※ナチス・ドイツが行なった大虐殺のことを言う)』について授業でやっている。」と言われた時、正直私は何も言えませんでした。

なんとなく、「ヒトラー率いるナチス・ドイツは、当時ユダヤ人を差別し、アウシュビッツなどの強制収容所でガスで毒殺した」というくらいのことを知っているのみでした。(ちょーザックリ過ぎ 汗)

思い返せば、ナチスのことなんて、学校でやらなかったよな……。

それで、私も、娘が学校から借りてきた本を読んでみました。

おかげで以前より理解が深まりました。

本当にザックリ、流れをまとめてみると……。

第一次世界大戦で敗戦国となったドイツは、ひどい不況に陥っていました。確か、当時は失業率30%以上とか……。

国民が苦しい生活に打ちひしがれている状況で、ヒトラーは

優秀なドイツ民族の誇りを取り戻そう!」

と情熱的に演説し、ドイツ国民の支持を集めました。そしてヒトラー率いるナチ党は選挙で勝利、政権を握ったそうです。

最初は公共事業などを充実させ、国民の生活を潤わせて支持を集める一方、政治のシステムを一党独裁型に変えていきました。法律も議会のしくみも変え、権力を握っていきました。ナチスを批判するものは逮捕されるようになり、最初は共産主義者などが逮捕されました。

当時、ユダヤ系の人々が商業・金融で活躍し、裕福な生活をしていました。ヒトラーは、「優秀なドイツ人がみじめな生活をせざるを得ないのは、ユダヤ人が力を持っているせい」と主張し、ユダヤ人経営の店とは取引しないよう、国民にボイコットを促しました。

ドイツ人の子ども達には、「ドイツ民族(アーリア人)は優れた民族で、ユダヤ人(や他の人種)は劣っている」という教育が行なわれ、ユダヤ人と関わることが禁止されました。ユダヤ人が書いた本などは発禁処分になりました。

ヒトラーは、「ドイツ民族の繁栄のため、アーリアの純血を守らねばならない。そのためにユダヤ人を排除しなければならない」と考えていました。ナチスによるユダヤ人迫害は加速し、最終的には強制収容所に入れて凄惨な大虐殺が行われるに至りました。

それと同時に、ドイツ人でも、障害を持つ人は「アーリア民族の優秀な血を劣化させないため」殺されました(優生思想)。また、同性愛者も「優秀なアーリア人の子孫を残さない」という理由で収容所に入れられました。他にもジプシー(ロマ族)など、多くのマイノリティが迫害されました。

ナチスは第二次世界大戦中、周辺国を侵略しながら、このような組織的な虐殺行為(ホロコースト)を広げていきました。

それは、ドイツが戦争に負けたことによって、終止符が打たれました。

※私の個人的なまとめです。

今思うと、このような人種差別やマイノリティに対する迫害・虐殺は、ドイツだけの問題じゃないのですよね。

ナチス・ドイツの歴史は、「繰り返してはならない歴史」として、世界で語り継がれていくべき事実。オーストラリアでは重要なこととして、学生たちに教えられているのだ、と思いました。

でも、私自身ナチス・ドイツのことを学んだ記憶がなかったし、今日本にいる娘の同世代の友達も、学校では教わっていないようでした。

今日本の教育現場では、「国際化に対応した人材を育てる」と盛んに言われていますが、「英語」に力を入れるだけでなく、こうした知識を教えることも必要なんじゃないか、と思います。

昨年、アイドルグループの欅坂46が、ハロウィンのイベントでナチス親衛隊(SS)の制服に似た衣装を着ていたことが、国内外から批判を浴び、ニュースになりました。

欅坂46の衣装が「ナチスそっくり」 Twitter炎上、英紙も報道|The Huffington Post

海外のメディアが報道・批判した他、ユダヤ人権団体からも強い批判を受け、運営会社や総合プロデューサーの秋元康氏が謝罪する事態になりました。

この件に対し、ネット上では議論が巻き起こりました。「あまりに無知。世界に対し恥ずかしい」という批判もあった一方で(海外からの批判は)「難クセ」「そんなに目くじら立てなくても」といった意見も目立ちました。

実際日本では、後者の方が一般的なのかもしれません。

でも、あの衣装を着た女の子達も、デザインした人、企画した人……ナチスのことを学んでいたら、無邪気にああいうことができたでしょうか?

私が思ったのは、「海外から批判されることが問題」というよりも、第二次世界大戦下で何が起きていたかということを、今の私達って知らなさすぎるのでは?ということ。

自分の国のことに関しても、ですが。

なぜ、ナチスが誕生したのか?を学ぶと、

なぜ人種差別がいけないのか

『母国を愛する気持ち』と『(行き過ぎた)ナショナリズム』とは何が異なるのか?

を知ることができるのではないかと思います。

海外の学校教育を通して、娘は学ぶきっかけを与えられました。

まとめ

こうしたことを含めて、私がここに来てよかったのは、「日本では常識」ということが、こちらではそうじゃない、ということがわかったことでした。

日本の中で暮らしていて、「普通はそんなことしない」「こうするのが当たり前」と言われることも多いと思います。それに、疑問を感じたり、内心「イヤだな」と思っても、仕方なく黙って受け入れざるを得ないことも多いでしょう。

でも、一歩日本の外に出ると、その当たり前が「おかしい」世界もあります。

私自身は、こちらに来てみてそれがわかり、結果的にこちらに住むことを選びたいと思いました。

そのために、これからも英語をがんばって勉強して行こうと思います!

日本の中で十分に心地よく生きている限りは、英語は必要ないかもしれません。

が、もしも身の回りの「常識」に疑問を感じた時……、海外の価値観に触れることで、自分の大切なものを見失わないで済むかもしれません。事情が許すなら、海外に行ってみることで、より人生の幅が広がるかもしれません。

英語を使えることによって、世界は広がります。それは物理的なことだけでなく、より多様な考え方や生き方に触れられる、ということなのです!

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