日本の学生のみなさま!どんな夏休みを過ごしてますか?
気がつけば、8月ももう後半。すでに夏休みの旅行やイベントを楽しんだ方も多いのではないかと思います。夏休みならではの、素晴らしい思い出ができたことでしょう。
8月のパースには、夏休みを利用した中高生の短期留学生が、毎年たくさんやってきます。
私の娘が通うローカルハイスクールは、日本の高校と交換留学も行っています。その交換先の学校の生徒達がパースにやってくるのは、決まってこの夏休みシーズンです。
また、おそらく民間の短期留学プログラムなどを利用してやってきたと思われる、学生さんもいます。
1日だけの見学、という形から、パースローカルの生徒の家に一週間ほどホームステイして現地校に通うパターンや、2,3週間じっくり滞在するパターンなど……。さまざまな形で、中高生たちが娘の学校を訪れます。
娘にとっては、同年代の日本の子達と交流する、数少ない機会。今年も、日本からやってきた同学年の留学生たちと、こちらの学校の友達と、大人数でおしゃべりしたり、週末に遊びに行ったり、楽しんでいるようですよ。親としては微笑ましいです。
このように海外で短期留学を経験する中高生は、日本では少数派かもしれません。
日本では、「中学高校とあれだけ学校で英語を勉強したのに、英語ができるようにならない」とよく言われます。
特に、「高校受験・大学受験で、あんなに必死に単語や文法を覚え、長文読解もさんざん勉強したのに、なぜこんなに英語が話せない?あの努力はムダだったのか?」
と悔しく思う人は多いのではないでしょうか。
私自身がオーストラリアに住むようになり、英語に触れて思う事は、「日本の高校・大学受験の英語は、決して低レベルではない」ということです。むしろ、非常にきちんとした表現を学んでいたり、ネイティブの人でも厳密に使い分けられないような文法を知っていたり。
でも、いざ海外の人と対面すると、英語で簡単なことが言えない……。(←私がまさにそうでした)
そこで、
受験英語では、なぜ英語が話せるようにならないのか?何が足りないのか?
ということについて、書いてみようと思います。
英語を読んで理解できても、コミュニケーションはできない
今の中学生の英語の授業は、もしかすると私自身が経験したものと、ずいぶん変わっているかもしれませんよね。時代が違うのだから。
そこで、都道府県が行う公立高校の入試問題の過去問を、一部ネット上で公開されているものをググって見てみました。
たとえば、教育・受験系ニュースを扱うサイト「ReseMom リセマム」では、各都道府県の公立高校入試問題の過去問がまとめられています。
リスニングはわからないので、筆記試験についてですが。
昔はスペルとか文法問題とかが結構あったと思うのですが、今は「会話文」や「スピーチ文」、「メールの文」などを読んで、穴埋めをしたり、内容に適した解答を選択したり、みたいな問題が中心のようです。
スペルや文法などの細かい知識よりも、「日常的な場面のやりとりの英文」を読んで、何を言われているかが理解できるか、を問うような問題が多いと思いました。
「会話や表現、コミュニケーションを重視している」という、中学校の英語教育の方針(学習指導要領)を反映しているのかな、と思います。方向性自体は、昔よりも「使える英語」が意識されていると思われます。
この入試問題を見てみて、私は正直思いました。
40歳になって英語ネイティブ環境に来て、4年以上、英語を話そうと奮闘してきた私。
英語圏の学校の授業内容を、我が子を通して見てきた私。
その私が改めて、この入試問題を見て、思ったこと。
すげー、内容、レベル高い!
正直、これだけの英文を、読んで意味が理解でき、自分である程度使えたら、結構コミュニケーションできますよ。
試験問題には、会話形式の英文も出てきますが、文型はシンプルなものの、そこそこの長さの文が含まれています。そこに出てくる単語や文型を使って、自分が言うべきことを言えたら、会話としてはかなり満足のいく意思疎通ができるのでは?
少なくとも、このレベルの会話ができれば、「日本人は英語が話せない」なんて、誰も言わないはず!
多くの日本人がおそらく、「せめてこれくらい英語ができれば……」と思うであろうレベルの英語が、高校入試問題の中にすでにある、と思いました。
そのためか、「受験英語は英会話にも役に立つよ!」という意見もあります。確かにそれも一理あります。
受験問題を完璧に理解できるほどの語彙や基礎知識があれば、基本的な範囲の英語表現はカバーできるかもしれません。
でも……。これだけの試験問題を解くことができても、日本の学生は「英語が話せない」ということを、やはり日本の教育を受けてきた私は深く理解しています。
私達は、英文を「読み」「理解する」ことはできても、英語を使って会話したり、やりとりすることができない。
受験英語は、「英文を読んで理解する」という能力が大きくフォーカスされています。
でも、英語を話す・英語を使う、ということは、「英語の意味がわかる」だけではダメなのですね。「自分で言うべきことを考えて、それを英文で言う」とか「相手との会話のキャッチボールの中で、英語で必要な情報を取得する」ということが必要になります。
英語表現を覚えて意味を理解するだけでは、コミュニケーションはできない。
それを実際の場面で「使えること」が、重要なんですね。
でも、受験勉強では、「知っている単語や英語表現を使ってコミュニケーションする」能力は、鍛えることがほとんどできません。
だから、受験英語をどれだけがんばっても、それだけでは話せるようにはならないのです。
「なぜ日本人は英語が話せない?」については、過去記事でも取り上げています。以下の記事では、オーストラリア人でありながら日本語で日本人に英語を教える「ジェイク先生」が、鋭い指摘をしていますので、ぜひこちらも。
もう一つ、入試問題を解くだけでは英語が話せるようにならない理由があります。
入試問題は、「英文を読んで、正しい答えを選ぶ(書く)」ということが中心です。受験に対応するなら、このテクニックを集中して練習しなければなりません。
『長文の中に空欄があって、選択肢から適した単語を選ぶ』とか。
『長文の中の言葉を、同じ意味に言い換えた文を、選択肢から選ぶ』とか。
でも実際に、特に英語の会話でコミュニケーションを行う場合、大切なことは
- 自分が知っている語彙や言い回しを使って、状況や文脈に応じたことを言う。
- 状況や文脈から、相手が言ったことを聞き取って、自分がどんな反応をするか決めて、応答したり、行動に移す。
というようなこと。
実際の場面では、「正しい選択肢」なんてないし、「この文中のこの部分に当てはまる単語は、●●●と▲▲▲、どっちが適切?」なんて考えることは現実的ではありません。
受験英語では、「『この場面ではどんなことを言おう?』と自分で考えて言う」という練習にはならないし、「相手に何か言われて、自分の理解の度合いに応じて『反応する』」という練習にもならないのです。
中学英語はコミュニケーション能力を重視しているけど?
中学校の「学習指導要領」では、「初歩的な英語を使った『聞く・話す・読む・書く』のコミュニケーション能力」を育てることが目標とされています。
中学校学習指導要領 第2章 各教科 第9節 外国語|文部科学省
これまでの「細かい文法」重視の英語教育から、「使える英語」の学習へとシフトしようとしているのが読み取れます。
中学校の実際の英語の授業がどんなものかはわかりませんが、方針としては理解できます。
ただ、「コミュニケーション能力」といっても、すごくあいまいですよね。
前回の記事でも書きましたが、「日常会話」とか「初歩的なコミュニケーション」と気軽に言いますけど、要求される事柄は実は非常に幅広いものです。
「ネイティブの話す英語をちゃんと聞き取れて、時にはPardon?やYou mean…? のように聞き返しながら相手の意図を汲み取り、きちんとした発音で自分の考えを適切に話し、読み書きも正確にきちんとできる……。」
「学習指導要領」の記述を読み解くと、このようなことが当たり前のように教育目標とされていますが(私の要約&解釈です。正確な記述については上記リンク先の学習指導要領を参照してください)、英語ネイティブじゃない私達『外国人』が、そのレベルで英語を使いこなしてコミュニケーションすることは、実は結構 難しい ことです!!
「こういう時には、英語ではこう言います」
と詰め込むだけでは、こうしたコミュニケーション能力は養えません。
知識を増やしつつ、実際に英語を使う経験をたくさん積み重ね、間違いや誤解なども経験しながら、だんだんと「英語を使った適切なコミュニケーション」が行なえるようになっていくのだと思います。
ちなみに、小学6年生の時にオーストラリアに来た娘は、毎日ローカルの学校に通い、毎日6時間以上、英語ネイティブ環境でどっぷり学んできました。その状況で、聞く・話す・読む・書くすべてにおいて、英語でのコミュニケーションを誰のサポートもなくできるようになるまでには、やはり3年くらいはかかったと思います。
外国語を、滞りなくコミュニケーションできるレベルまで習得するのは、それなりに長い時間がかかる、ということを言いたいです。
ところで、中学生の英語の授業時間は、年間140時間。1週間に4時間だそうですね。
たった週に4時間の英語の授業で、しかも、30~40人の生徒に先生一人の授業だとしたら。そのような学校の授業だけで、生徒一人一人に「(学習指導要領が示すような)英語を使ったまんべんないコミュニケーション能力」を身につけさせようなんて、私からすれば「そもそもムリなんじゃないか??」と正直に思います。
日本の生徒達は英語を話す能力が劣っているわけではありません。「学習のために与えられた時間と機会」に比べ、「求められる能力(「読む」以外の英語能力)」が高すぎる、というような気がします。一英語学習者として。子ども達には、「理想論」を掲げるだけじゃなく、もっと実現可能な学習目標を示してあげてほしい……。
大学受験の英語はどうか?
では、大学受験はどうでしょうか?
大学入試センター試験の過去問をチラッと見てみました。(たとえば以下のリンクより)
やはり、高校入試の問題に比べると、格段に難易度が増していますね。
日本では高校は義務教育でないため、一般的な英語教育について論じることはできません。
が、改めてセンター試験の過去問を見て思ったこと。
ここで求められる英語力と言うのは、ごくざっくり言えば、「英語の文献や学術論文を読むための英語力」ではないかと思います。私自身の経験も振り返って……。
まあ、実際に大学の専門課程では、英語の論文を読むことが必要な場合もあると思いますので、当たり前といえば当たり前かもしれません。
こうした英語力は、もちろん高等教育(大学~)を受けるためには、必要なレベルのものです。しかしやっぱり、「コミュニケーションを取るための英語力」ではないんですね。ここで求められているのは。
だから、これだけ難易度の高い「大学入試の英語長文読解」ができても、簡単な英会話ができない、というのは、まったく不思議はありません。
(まさに、私がそのパターンでした 汗)
これが、「大学受験の英語」が「話せる英語」の役に立たない理由、です。
まとめ
今回の内容に関連する過去記事として、以下の投稿も紹介しておきます。
では、受験の英語をがんばっても、意味がないか?といったら、そうでもありません。
その分野の「読む」力は、やはりやればやるほどつくし、「読む」ことだって、英語力の一部として重要なスキルなのです。長い英文が正確に読み取れる、ということは、英語圏でも重要な英語スキルとして認識されています。
でも忘れてはならないのは、それは幅広い「英語力」の一部でしかありません。
社会の中で人と接する時、私達は場面に応じて自分のことを伝えたり、相手に声をかけたり、人から何かを要求されたり、さまざまなやりとりがあります。それは対面の会話だったり、メールだったり、電話だったり。一対一だったり、大勢の人の中だったり。
受験英語の勉強では、それらの練習をすることはできません。
限られた時間の中で、「英語力のどの部分をアップしたいのか」を考えて、それに対応する訓練を積んでいくことが大切だと思います。つまり、「話す英語」の能力を身につけたいなら、「英語を話す」練習をしたり、「話し言葉の英語」を覚えることが、ゼッタイに必要です。それは受験英語と重なる部分もありますが、受験勉強だけではカバーできない部分が非常に多いのです。
ここで最初の話題に戻りますが。
夏休み中の現在、娘の学校に来ている留学生の子達。
みんな、小さい時から英会話教室などで長年英語を勉強してきた子達なんだろう、すでに英語がある程度話せるような、特別な子達なんだろう、と思われるかもしれません。
実際に私自身もそう思ったのですが、意外にもそういう子は少数派のようです。
娘に話を聞いたところ、今パースに来ている高校一年生の女の子は、「英語は、学校の授業でしかやったことがないけれど、海外に興味があったので来てみたかった」という感じだそう。ローカルの学生との交流では、「文法などはあまり気にせず、とにかく知っている単語を使って話してみたら、意外と意思疎通できた!」と喜んでいたそうです。
「正しい言葉を選択肢から選ぶ」ことより、「簡単でも、自信なくても、自分で言葉を発してみる」こと。
そして、
「通じた!!」
「あーわからなかった~。」
「へーネイティブの人はこんな言い方するのかぁ。」
こんな喜びや感動を知ることが、「コミュニケーションできる英語」を学ぶ楽しさであり、モチベーションにつながると思います。
この感動は、受験英語では味わえないものです。
中学生・高校生のみなさんには、「私は英語ができない」と思わないでほしいです。
学校の授業や、受験勉強だけで、英語が話せるようにならないのは、ある意味当たり前。
英語が話せるようになりたいなら、これからたくさん話す練習をしていけば、よいのです!